「こと葉」誕生
ずっとずっと、ず〜っと長い間「こんなのをやって見たいなあ…」と思い描いていたものがある。
フォーチュンクッキー。
おみくじのような言葉が書かれた紙片が入っている薄焼きのクッキーだ。
私とフォーチュンクッキーの出会いは、かれこれ20年前以上前に遡る。
当時、私は勤務先の美術館を退職したばかりだった。何か明確な目的があって辞めたわけではない。ただ、40歳になる直前で、自分の人生、敷かれたレールの上を走らずに生きてみようという、大きな「賭け」に出た結果、そうなったのだ。
が、モヤモヤしていた。
これでよかったのか? 何も辞めなくてもよかったんじゃないか。せっかくアートとガチで付き合える好ポジションにいたのに、安定した収入と大きな会社の後ろ盾があったのに。どう考えても恵まれていたのに。どうしてだろう、と後悔に似た気持ちが強くなってきた。
明日が見えなかった。その現実を拭い去りたくて、旅に出た。
行き先はニューヨーク。お世話になったMoMAへ赴き、元上司に今後のことを相談しようと思い立ったのだ。
到着した日、チャイナタウンの安い中華料理店に入った。
悲しいことに、注文した料理はすべて不味かった。私はがっかりして、すぐにでも店を出ようと会計を頼んだ。伝票が小皿に載ってテーブルに届けられた。袋入りの薄焼きクッキーとともに。
なんだろ、これ?
袋を開けてクッキーを取り出した。割ってみると、小さな紙片が出てきた。
そこに書かれていた一文。
It’s all right. (大丈夫。)
私はじっとその一文を見つめた。おそらくほんの数秒間。
次の瞬間、前を向いていた。
私は支払いを済ませ、その紙片を財布に入れて店を出た。
マンハッタンの街角をせいせいと歩いていく自分を、ほんの少しだけ誇らしく思えた。自分の選択を。
言葉って、魔物だ。
人を傷つけもし、励ましもする。
もしも私がこの先、誰かに言葉を届けることがあったとして。
その時は、その誰かを励ます言葉だけを届けよう。
そう心に決めた。
あれから20年。
あの時の思いを込めて。
あなたに「こと葉」を届けたい。
原田マハ